07年6月18日。北海道苫小牧市樽前,錦大沼公園アルテン。前翅長41mm。
北海道の5月はシャクガ主体のまだ春の蛾。6月半ばには夏の顔ぶれへと一気に変わっていく。オナガミズアオが青白く飛びかい始めるのもこの時期。
夏の夜回りの楽しみの一つであるスズメガもこの頃から。小さい蛾の魅力を充分に知っていたとしても,それでも目の前の大きい蛾には心が躍る。ノコギリスズメに出会ったのはそういう季節。
銀ねず色の地肌が美しく,脈翅がオレンジ色に浮き上がる。フラッシュの光に青みさえ帯びて,これはいわゆる「美麗種」と呼ぶべき蛾だ。
下翅がはみ出すのはエゾスズメなどと同じ。よく見ると,上翅の模様と下翅のそれとがつながっている。このスタイルがデフォルトであるようだ。枯葉擬態なのかもしれない。
ノコギリスズメは北方系の蛾で,環境庁(当時)自然保護局の「第4回自然環境保全基礎調査報告」(1993)の考察によれば,
…ヒメサザナミスズメ、クロテンケンモンスズメおよびヒメクチバスズメは山地性で西日本では山地域に限って見られ、全体的には中部から東日本に分布が偏っている。この後者の傾向が最も顕著な種は北方系のノコギリスズメである。
とのこと。『蛾類大図鑑』の記述。
北海道東部には多く,本州では東北地方北部から中部山地に産するがあまり多くない。 (p.596)
外地北海道ならでは。でもやっぱり蛾の多様性では内地,特に西日本にはかなわないような気がする。例えば九州には,あの鮮やかなキョウチクトウスズメがいる。わたしがその生体を今生で見る機会はきっとないだろう。
せっかくだから,もう少しネット徘徊。外国サイト「Sphingidae of the Western Palaearctic - Species List」(旧北区西部のスズメガの種リスト)でノコギリスズメが大きく取り上げられている。ヨーロッパではメジャーな蛾なのだろうか。「Laothoe amurensis」の項から拙訳。
…それ(ノコギリスズメ)が飛び立つのはほとんど夜半過ぎからであり,しばしば止水の上を上下して繰り返し口を付けるのが見られている(Skvortsov & Thomson, 1974)。(…)一つの地域集団に属する個体は5〜7日間で一斉に現われ,その寿命は6〜10日だけのごく短いものである。これは,この種が北方の気象条件(すなわち,短い温暖な夏と長い寒い冬)の真の住人であることを示している。
日本ではどうなのだろう。情報が見つからないので分からない。もしも同じなら,わたしはかなり幸運だったことになる。
07年6月18日。北海道苫小牧市樽前,錦大沼公園アルテン。同一個体。
学名はLaothoe amurensis amurensis。
属名については『生物学命名辞典』で触れられている。
昆虫の蛾に同名の属名ノコギリスズメ Amorpha (引用者註:不格好な,醜い)がある。これを命名者と反対に美しいと見る人もいよう。現在,この属名はLaothoeに変わっている。ホメーロス中,レクスス人の王アルテースの娘ラーオトエーに因む。(p.795)
少なくともわたしは「美しい」に与する一人であるし,蛾好きの人なら皆そうだとも思う。
なお,ラーオトエーは,トロイ戦争におけるトロイの最後の王プリアモスの側室と述べた方が相対的に分かりやすいかもしれない。『イーリアス』を調べてみたが,名前が2回出てくるだけの女性である。どのみちエピソードは何もない。
種小名と亜種名は「アムール地方の」。
「ノコメ(鋸目)」の名の蛾は沢山いるが,端的に「ノコギリ」の名を帯びた蛾はノコギリスズメだけである。ノコギリスズメはどこか特別な蛾という感じがするし,また,それに値する蛾であるようにも思う。
○『日本産蛾類大図鑑』;講談社
○『生物学名大辞典』,平嶋義宏;東京大学出版会
(2007年12月8日初稿,12月17日改稿)
yyzz2;虫画像 虫よもやま